江口 彰 Laboratory

分野は、“教育” “映画” “まちづくり”。次世代への取組みを分かりやすく考えてみる。

有権者教育は真面目に設定しないとならない。

Posted on | 12月 8, 2014 | 有権者教育は真面目に設定しないとならない。 はコメントを受け付けていません。

先日、学生に少し集まってもらい、解散総選挙に伴って選挙や政治について勉強する場を作ってみました。どういった内容にするのか、集まったメンバーで意見を聞きながら、即興的に2時間弱やろうということで、4名プラス自分の5人で実施。今回の開催趣旨は、若者の投票率向上が主な目的で、さらに投票するならばしっかり考えて投票することができるようになること。最初に、ペーパーを配って5分間、気になること、関心のあること、文章でもキーワードでもいいので選挙や政治について書いてみてください。といった時間を作って、そのペーパーに書かれたことからトピックを選ぶ方法で進めます。

そのなかで、最もベースとなることが出てきました。それは、そもそも投票するという仕組みがわからない。自分の選挙区がわからない。といったようなものです。いろいろ話を聞くと、まだやったことがないですし、確かに学ぶ機会がほとんど無いに等しいと思いました。なので、最初に「小選挙区比例代表並立制」についておさらいをしつつ、北海道の選挙区についてぐぐって調べるということからはじめています。まず自分はどこの選挙区で、そこで立候補しようとしている顔ぶれをみるところからやってみます。政治や経済については、中学高校の社会の教科で触れる機会があります。ですが、それで十分とは言い切れませんし、受験科目で世界史や日本史、地理などを選択すると、まずほとんど触れる機会がなく大学生になってしまいます。しかも政治経済は受験科目としては主流ではない。ですから、ほとんどの大学生は、中高のちょっとした社会の時間を覚えているかどうかと、あとは自主的に勉強しているかしていないかでその差があるということになります。ましてや理系となると関わりはさらに希薄です。

そして次の議題として、参加者の共通の関心ごととして「地方創生」「地域活性化」といった北海道にいるからこそ出てきそうなトピックがありましたので、「地域」について取り上げてみました。参加者に地域についてのそれぞれの考えを述べてもらってから、さて各政党がいま皆さんが考えていることとどれだけ近いか遠いかをみて考えてみましょう、ということで、まず最初に政府が、つまり政権与党が進めている「まち・ひと・しごと創生会議」のホームページ(首相官邸)を見てもらいました。これと自民党が考えている方針とはリンケージしますよって紹介します。他の政党もググると出てきますよ、と紹介します。さらに追加で、Facebookで繋がっている、いつもお世話になっている北海学園大学の西村宣彦准教授のコメント、先日道新に掲載した記事、しかも編集に間に合わなく差し替えてほしかった幻の記事を活用してみました。話をしているうちに、どうやってそういうページを見つけるんですか?という質問に変わってきたので、情報収取の仕方や学び方に話題が変わってきました。それとメディアについての話にも及びました。ここ1週間ぐらいメディアで話題になった政治や選挙がらみの報道については、小学生なりすましのことは出てきましたが、与党がマスコミ各社に送った文章について知っている人と知らない人がいたようです。その文章も読み上げてみましたが、「これって問題があるのですか?」という意見も出ました。

といったような流れで2時間弱の時間があっという間に過ぎ去りました。選挙の仕組みと情報収集の仕方や考えるポイントが分かったと思うので、あと投票日まで時間がありますからしっかり考えて投票してくださいね、ということで終わりにしています。

やってみての感想は、小中高そして大学生まで普通に過ごして20歳になったので投票権がありますよっていう状態が、若者の投票行為を遠ざけているということを考えざるを得ないと思いました。どのような事柄でも、わからないものに関わるということはなかなか厳しいと思います。中高で政治経済を扱うときの子どもの心理は、テストで点数を取るためといった目的ですから、そうではなく投票行為に繋がるタイミングで自分の投じる一票を考えるという場の設定は必須だと改めて思いました。しかも関心がないわけではないと思います。ただし積極的に自ら思考錯誤してというところには至らない人が大半でしょう。2時間では全然足りないですし、もっと公式な場、例えば大学の必修科目相当のところでやるべき必要性があると思いました。20歳になったばかりの大学2,3年生には、とくに大型選挙等があるタイミング(このタイミングは関心を持ってもらう大事なことなので、シラバスに定期的に設定するのとはちょっと違う)で、リアリティを持った学ぶ場の創設が必要だと考えます。

夏休みに向けて、大学生に助言すべきこと

Posted on | 6月 19, 2014 | 夏休みに向けて、大学生に助言すべきこと はコメントを受け付けていません。

久々にBLOGなるものを書いています。昨日、自分が教鞭をとっている大学の就職活動の風景を目の当たりにして「やっているな」と思いながらも、アベノミクスと言われていますが、昨今の経済状況も業界や地域によって細かくみるとばらつきがあり、求められる人材の多様化もあり、就職協定の変更等にも振り回され、さぞやたいへんそうな印象を大学担当職員にも大学生たちにも感じます。

しかし本来は、そうした状況や環境の変化は今後常日頃起き続けるでしょうから、それらに対応できる柔軟性が必要な社会になってきているからこそ、社会人に求められるスキルや感性もその変化に対応できるために、しなやかさとしっかりした芯をもっているのは必要なことなのかと思います。でもしかし、そういったことをどう育んで学べばよいのかという話になると、就職活動の前線では、エントリーシートをかく、どこかに企業訪問にいく、インターンシップに申し込む、面接対策だ、企業研修だ、といったように皆目見当違いの場当たり的なことしかできない状況になってしまいます。

こうしたことから、各大学で1年生から場当たり的な対策に捕われないように最近コトバが一般化しつつある“キャリア教育”なるものを設定している大学が多くなっているのです。でもしかし、大学職員や教授等教員のなかで、先に述べたような変化の激しい社会でしなやかかつ芯をもった能力形成に寄与できる学習環境を整えることとか、カリキュラム開発が出来てそれを授業という場で実践できるかというと、ほとんどは専門外で、そしてたまたまその担当になった人ですので、教えるべきスキルを実践的に出来ていない人や苦手な人がかなりを占めていると思います。また逆に、そんなことは大学がするべきではないと抵抗勢力になる人もいますし、無関心でいる人も多くいます。このようなこと(社会対応)ができる人材は今枯渇しているというよりも、そもそもそういった学習環境がないなかで育ってきた日本人ですから、ごく稀に出来そうな人がいるという程度で、まだこうした人材育成を担う学習指導者たちは、社会のニーズに対してそれほど数多くいるわけではないのは、よく考えるとあたり前だと思います。そういえば似たような話で、小中高の“総合学習の時間”で、ゆとり教育の象徴的なカリキュラムが導入されたときに、その指導方法についてはかなり現場がもたつきました。元文部省でゆとり教育導入時のスポークスマン的役割を果たした寺脇研氏によると、小中学校で総合学習という授業を受けたことない先生方が教えていた時代だったからうまくいかないだけであって、子どもの頃総合学習を受けてきた子が教師になる世代になると、ようやくうまくいく可能性が広がっていく。そのゆとり世代が教師になりそうなときになって、脱ゆとりとかになると、せっかく築きあげてきたものが…とおっしゃっていました。大学生から社会人に至るまでの学習環境の構築や開発も、ほとんど同じような構図であるとは考えられます。

ここ最近の大学の最前線では、これは中高校も一部そうなりつつあると思いますが、知識を伝えて覚えるという従来型の学習スタイルの重要性は色あせてもいないですし必要性は変わらないのですが、それに加味されて知識ではなくスキルや技術や柔軟性や行動力といった類いのものを伝える学習スタイルの導入や開発が急がされています。その講師役になる人にはその分野の知識と、スキルですので常日頃から講師自ら研いていている状況がないと、これはなかなか子供たちには伝わりませんし、学習課程をチェックしたり、修正したりも出来ないのではないかと思います。でも今の現状は、全くそれらのことを知らず行動も伴わない人が、キャリア教育の担当になることがよく見受けられます。これは先にも延べたように、もともとそういった人が少ないので、選択肢がほとんどないですから仕方ない状況ではあります。徐々に時代とともに解決はされていくと思いますが、問題は、結果としてそういった人が作り出した学習環境のなかで、あまりうまくいかないケースを生み出しているといった学生たちの現状かと思います。

前置き長くなりましたけど、昨日授業中にヒアリングしていた大学生のケースは少し考えさせられました。大学3年生のこの時期は、卒業後の進路に向けて具体的な行動に着手するために、あれやこれやと大学側が就職系のイベントや授業を用意していて、やらせる、参加させる、という方針がとられます。もちろん、これは一定の意味がありますが、プラスになっている反面、マイナスになっていることも事実として押さえておかないとなりません。どういうことかといいますと、夏休みの予定が立てられない、という話しを聞きました。近年各大学では3年生の夏休みに、企業インターンを誘致して、参加させるという仕組みが定着化しつつあります。企業インターンのエントリーを行ない、面接を行うらしく、結果いつどこにいくのか、どれくらいの期間拘束されるのか、そういった選考課程にあるから夏休みどうなるか分からないというのです。そしてその企業群の一覧を見せてもらいました。北海道内外の有名企業から中小企業まで、日程が決まっているものから決まっていないもの、内容も定まっていたりそうでなかったりです。しかも人気があるところは抽選という記述があり、しばらく待たされるのです。

こういった状況は、自分のスケジュールを自律的に作れないわけで、ある意味振り回されている側ですから、社会の変化に対応している力を育んでいるかという観点からいくと微妙な感じがします。さらに話が続くのですが、この1週間何をしていたかを聞きました。そうしますと、先週の土曜日に友人のバースデーパーティーにいって楽しかったといっていました。よくよく聞くと友人は外国人で自らの誕生日を大勢誘ってわいわいやっていたということや、参加している人が多種多様で30歳前後が多かったといっていました。どういう会話をしたのかというと、ふざけていただけでそれほど意味のある話はしなかったようです。どんな人に出会ったの?と聞くと、ある出版社の務めている人と出会ったといっていました。でもしかし、仕事生活の話はなにもしなかったようです。

僕からはこのように伝えました。その時その出版社の人と仕事や生活面での話ができたら、その業界や企業については夏休みにエントリーしようとする職種とは違うかもしれないけど、一つの会社を知ったり聞いたりできるだろうし、その業界から他の職種に紹介してもらえるまで展開できれば、大学で用意してくれた企業インターンになんて行かなくても済むのではないか。しかも大学で用意した場の空気よりはラフな場だと思うので、本音トークも聞き出しやすいと思う。それをいつもやっていれば、スケジュールの主導権は自分にあるわけだし…といった類いの話をしていました。そういったやり取りを聞いていた他の学生にもきっと考え方や動き方のコツを、一人のケースを通じて学ぶことが出来たと思います。

大学3年時の夏休みは、従来よりも重要な体験をしないとならないタイミングになってきています。中長期の旅行すること、資格勉強すること、サークル活動に没頭すること、就職活動の初動をはじめる、バイトでお金を貯める、留学にいくとかです。あれもこれも同時にたくさん出来ないでしょうから、選択をしないとならないわけです。一方で各大学や企業は社会情勢に合わせるように、大学3年時に企業インターンの仕組み化を内在化させることで、作ったからには出席率や参加率は気になるところでしょう。それがいいのか悪いのか、その善し悪しの片鱗を見たような気がします。たまたま話をした受講生は、多方面に人脈作りやお友達を作れる状態までいっていますから、逆に大学で作られたレールは縛られている感があります。しかし今のままでは未来につながる感じでもないですから、ちょっとした行動修正を行なう必要性がありました。それをしっかり見つけてあげて、指摘し行動変化のきっかけを生みだすことのほうが、夏休みにインターンいくよりも、今最もその子に必要なキャリア教育の本来の目的に繋がっているのだと思います。もちろん、他の学生には大学で進めている制度を活用した方がよい人もいます。

このように、一人の大学生の普段の行動や考え方をケース化して、それを振り返りながら考えていくことで、授業を構築していくほうが、かなり効果的ではないかと思っています。

企業の人事からみて、大学の就職担当セクションが就職支援企業と結託して、企業インターンシップを制度化して、それを学内で懸命に広報し、それにまじめ応えていくつかの企業訪問する学生と、もっと違う体験を自ら構築して歩んでいる人と、どちらを採用したいと思うのか。もちろんそれは企業によりその職場環境によりますが、社会変化が常日頃から起き続ける社会人の在り方からすると、どちらがより対応できそうなのかは想像できるに容易いのかと思います。

環境学習を考えてみる

Posted on | 9月 22, 2013 | 環境学習を考えてみる はコメントを受け付けていません。

ふと思い立って“環境教育”なるものを調べてみました。文科省の環境教育のページには、「現在、温暖化や自然破壊など地球環境の悪化が深刻化し、環境問題への対応が人類の生存と繁栄にとって緊急かつ重要な課題となっています。豊かな自然環境を守り、私たちの子孫に引き継いでいくためには、エネルギーの効率的な利用など環境への負荷が少なく持続可能な社会を構築することが大切です。そのためには、国民が様々な機会を通じて環境問題について学習し、自主的・積極的に環境保全活動に取り組んでいくことが重要であり、特に、21世紀を担う子どもたちへの環境教育は極めて重要な意義を有しています。」と書かれています。持続可能な社会をつくるために、環境についての啓蒙と学習の必要性は年々高まっています。

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平成20年改訂の新学習指導要領の環境教育に関わる内容比較で、小中高と眺めてみましたが、気になった箇所は小学1・2学年の「自分と身近な動物や植物などとのかかわりに関心をもち、自然のすばらしさに気づき、自然を大切にすること」という文面。これは「生活科」というプログラムに盛り込まれています。それ以外は、社会との関わり、自然科学的な分野、健康分野においての学習プログラムがほとんどです。

自分の実体験と世代の背景もありますが、自分が環境教育的な学習をしてきた経緯のほとんどが学校教育以外の活動によるものでした。キャンプやアウトドア・登山や釣りなど、小学生のときはよく家族ともに行っていましたし、NHKの特集番組「地球大紀行」や「ボイジャーの惑星探査」といった番組には、毎回楽しみにみていて、相当影響を受けたと思います。

環境教育の根幹となるのは、自然の神秘に魅了され好奇心が育まれ、それが動機となって環境について興味を持つ。こうした気持ちと知識形成への流れだと思います。そしてその自然の神秘に魅了されることは子どもから大人になっても時々必要なことであり、生涯学習的な位置づけがないと、その気持ちや気づきもさめてしまうのではないでしょうか。

学習指導要領で、小学1・2年の特に身近な自然に気づくという学習に対して、身近ではないものへの気づきといった展開があってもよいのですが、そのへんあまり強調されていないと感じます。何かしらの学習プログラムに包括されて表に現れていないのか、カリキュラムの実施が難しいなどあるのでしょう。確かに険しい野山に連れて行くのは危険なことが多々あります。

カタリバ北海道の活動で集まっている学生とともに地方の学校へ打ち合わせに赴くことがあります。時間がうまく調整できれば、近くの野山に連れて行くということを昨年度あたりからやりはじめてきました。学生の反応は非常にびっくりするもので、感動して何かしら学んで帰って来ているようですし、次も連れて行ってほしいと要望がでてきたり、私も連れていってなど、広まりはじめています。これらは明らかに環境学習的効果が見えていると考えられます。自分も昨年あたりに10数年ぶりに山に登ることを再開しはじめました。動機は、一眼レフカメラを購入していい写真を撮りたいと思ったことと、人間社会から隔離された空間に一時でもいる時間を作りたいと思ったことでした。自分自身に対して“自然のすばらしさに気づき”という学び直しということと休息的意味合いの場作りだったのですが、それを少し学生にお裾分けしていたところから環境学習的な意味を感じはじめています。ほとんどの学生たちは“自然のすばらしさに気づき”という学び直しというよりも、新たな発見があるように見えます。

自然体験学習はリスクもありコストもかかりますから、貧困格差社会になると体験できる機会も減りはじめるでしょう。安全管理もかなりたいへんですから、そうそうできるものではない分野になりはじめているような気がします。身近なものはできるかもしれませんが、子どもが年を重ねるとともに、より神秘的な場所での体験は厳しいかもしれません。さらに「自然の家」の存続問題も各地であるようですし、環境学習の場づくりはもっと工夫すべきことが多いように感じます。

参照ページ)文部科学省・環境教育
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kankyou/index.htm

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