江口 彰 Laboratory

分野は、“教育” “映画” “まちづくり”。次世代への取組みを分かりやすく考えてみる。

「カタリ場」という授業を改めて考える(その1)

Posted on | 4月 9, 2015 | 「カタリ場」という授業を改めて考える(その1) はコメントを受け付けていません。

カタリバ北海道が活動を開始して5年目に突入した区切りもあり、取材を受ける機会ができまして、今その原稿作りでちょくちょくと記者の方とお会いしはじめています。昨日はわりとコアなところをお話ししていたのですが、一般の人々でカタリ場を知らない人に、どういったものなのか、その説明からはじまり、この5年間はどのような成果があり、今後どうしていこうとしているのかを述べていくのですが、かなり難度が高い話だと思いながら2時間以上も話し込んでいました。
 
「カタリ場」はそもそもわかりにくい授業です。それは何か明確な答えがあってその答えを伝える類ではないからです。カタリ場は、主に大学生が高校生とグループワークをして動機付けする授業なのですが、「どのような話をしたから動機づけられるのか」「そもそもどうして動機付けが必要なのか」「大学生と高校生は何を話ししているのか」といったことを、教育についての関心があまりない層である新聞読者が読んでわかるようにすることはとても難解です。教育の専門家や教員に対してでも説明が難しく、見学に来ていただいて解説する日々を送っており、それでも一部なんとなくわかる程度であることもしばしば経験してきているため、ますます難しく感じています。取材はその難解なものに向き合いながら言葉を選びつつ、カタリ場とは?を改めて考えてみる機会になっています。

「カタリ場」とは、学生が主に高校生に対し対話を通じて学ぶ、動機付けのカリキュラムです。高校の総合の時間で主に取り組みます。学生一人に対して3〜5名程度の生徒が一つのグループとなり、語りながら授業を進めます。学生が、実体験を物語ることで共感を呼び込みやすく、生徒の心に変化が生まれはじめ、次第に前向きに捉える傾向が表れ、意欲が喚起され動機付けされます。学生の体験を物語るというストーリーが比較的年齢が近いということもあり共感しやすいことと、トレーニングを積んできているために力がこもっていることが特徴で、そのため生徒に変化が現れやすい状態になります。一般的な高校で卒業生が語りにくるイベントとの違いは、このトレーニングを積んでいるかどうか、圧倒的に人数を連れていくことで少人数化を実現していること、卒業生のみではなく多様な背景を持った大学生たちであるからこそ様々な人生があることの広がりが見えること、です。この3つのポイントが普通の高校で見られる行事との差です。この差はどれほど違いがあるのでしょうか。その成果とはどういったものと捉えているのでしょうか。

一つにその表情の変化を読み取る担任の先生方からのコメントが挙げられます。時々先生たちは「その子のこんな表情を今まで見たことがない」「はじめてあったばかりの大学生とこんなにも楽しく話をしているのが不思議だ」といったように普段生徒と接している担任の先生からこそできる、表情の変化を読み取ってざっくりとした感想をその場で聞く機会があります。

二つに、開催後約1週間後に生徒に対してアンケートを実施していますが、その満足度はほぼ全ての高校で9割以上を示しています。手応えが悪かった難しい現場であったとしても8割は超えていますから、生徒への反応は高いと言って良いと思います。

三つに、カタリ場の内容が良くないから翌年度の実施を見送りますという学校はまだゼロであるということです。継続実施がストップした(または見送り)高校はこれまでいくつかありますが、いずれもカタリ場の授業評価そのものが原因で、実施を見送るケースはありません。他の事情によるものです。

このようにカタリ場をこれまで5年進めてきたなかで確かな手応えが存在しています。そしてその数は5年で広がりを見せ、昨年度は16校の学校で24回のカタリ場が実施され、5年間累計で7,700名以上(いずれも道内)に届けることができました。全国各地の実数は累計18万人を突破しています。2014年度は1年間でおよそ45,000人がカタリ場を受けたことになります。手応えと数字が伸びているといった成果は確実に増していると考えられますが、高校生への効果のみではなく、実施する側の大学生への効果は今後もっとクローズアップしていくべきポイントだと考えています。

若者の投票率を上げるためにはどうするべきか

Posted on | 3月 30, 2015 | 若者の投票率を上げるためにはどうするべきか はコメントを受け付けていません。

統一地方選挙の時期になりました。毎回思うこととして、若者の投票率をどうにかしてあげないとならない。そういった話がポツポツと話題になります。若者に投票行為を促すようなイベントも開催されます。つい先日、札幌でも札幌市長立候補予定者を招いたディスカッション形式のイベントを学生たちが企画していました。しかしながら、その効果は限定的でなかなか裾野が広がっていきません。どうしたらよいのでしょうか。

二つのポイントを考えてみます。一つは量の問題で、とにかく投票数を上げるということです。これは選挙の仕組みを知って、とにかく投票所へ足を運んでもらうということですが、この量について例えばタレント議員などを招聘して若者や主婦層への浸透を試みるということが、これまで成されてきました。しかしこのやり方もそろそろ潮時な感じもします。そしてこれらは選挙広報やマーケティングの類の領域でもあるでしょう。

もう一方は質的な問題で、しっかり考えて投票しているかどうかということです。単なるキャッチコピー、知っている知らないということ、写真の顔つきがいいとか悪いとかで投票行為をしてしまっているのではないか、という問題です。昨今のメディア問題や超情報化社会での情報の流れを読み取るなど高い教養レベルがあるかないかで、質的なものは変化します。何よりも今の社会は複雑で多様化し分かりにくい。分かりにくいものを無理やり分かりやすく整理して喋れる人に票が集まる、というのも度がすぎるとナンセンスな結果になるかもしれません。ワンフレーズだけでは語れないわけです。

とにかく、こうした二つのポイントを考えて見るだけでも、若者の投票行為の向上を培うにはコツコツとした教育システムを作るしかないと思います。その大きな枠割を担うのは小中高の社会科の授業がポイントになるでしょうし、そして学級運営や部活動などの課外活動も含まれてくると考えます。

子どもが選挙のような行為に初めて触れる機会は、小学校のクラス運営のときでしょうか。班を作ってリーダーを決めなさい、といったことを経験した人が大半だと思いますが、まずこの見える範囲のクラスメイトの中で選ぶ人選ばれる人というのが発生します。このときからその範囲は、学級委員長の選任や児童会長、生徒会長などそのコミュニティの輪が広がっていきます。年齢を重ねるとその輪が大きくなっていく段階が存在しています。地方の郡部だとこの輪の広がり方が一定のところで固定化されるので、その問題はあると思いますが、この学校運営やクラス運営をもうちょっと工夫して行ってみることが、まず一つ大事な試みなのかと考えられます。特に、各段階ごとに選挙をする前と後のフィードバックをすること。これをするだけでも、選挙そのものへの学びが広がっていくと思います。だんだんと大きな輪での選挙活動に関わる過程のなかで、関心が薄れてくる子どももいるでしょう。そこはさらっとに流すのではなく、なぜそういった関心が薄れてくるのかを考えるワークをやってみるもの手だと思います。何事もやりっぱなし感が勿体無いわけです。

次に部活動などの組織活動での学びです。ここでは主に「信頼」を学ぶことだと思います。大学生の組織活動でも彼らの発する言葉に「仲良くなる」というのがキーワードなのですが、この仲良くなるという視点は、小中高時のクラスメイトとのやりとりのなかで培ってきたものだと思います。この仲良くなることだけだと結局は見える範囲、一緒に遊べる範囲でしか成り立ちません。年々学年が上がることに児童会長や生徒会長選出時などは、仲がいいか悪いかと言われると、大きな学校規模になれば知らない人に投票しないとなりませんから、だいたいイケメンだとか、噂や評判というもので投票するとか、そういった類の行為になりはじめます。そのために選任の基準の一つに「信頼」を据えることが考えられます。この「信頼」というキーワードは、リーダーシップ論でのリーダー像のなかでもトップ項目に上がってくるものです。この「信頼」を学ぶ場として培っていけそうな学習環境は、部活動が最もふさわしいと考えられるでしょう。部活動は大会など競技や技術などを競う過程があるためにチームワークが求められるものが多々あります。そのとき、結果を出すためにも「仲良くなる」から「信頼できる関係づくり」ということがポツポツと発生してきます。例えば、あの先輩は確実に団体戦で一勝を取ってくれるだろう、といった思いは、先輩の競技の技術に対する信頼であって、仲がいいということではありません。こうした関係づくりや対人評価のポイントがわかってくることで、学校運営の投票行為とつなげて考えてみるということができれば、ぐっと高まってくると考えられます。

そして最後は社会科の学びです。これは単にテストの点数を取るためとか受験のためではなく、学校という社会から外に向けての関心の輪を広げていくというものです。それは空間的広がりと時間軸での広がりと両方学ばないとなりません。学校内でのコミュニティは先に述べた学級運営や部活動で良いですが、自分の住んでいる地域や市町村、広域自治体、都道府県、日本、アジア、世界といった空間的なものの学習と、今現在と歴史的文脈(時間軸)の学びは、選挙行為の質や広がりを進めるためには必要なことになります。特に欠落しているのが現代史の扱い方です。以上のように、大学入試といった目標を掲げるのではなく、もっと社会を良くするための有権者教育のような文脈を作り上げていかないとならないとは思います。

このように有権者教育をコツコツ学ぶためには、これまでの学校教育の既存の仕組みを活用したデザインを生み出さないとならないでしょう。教育効果は長期的な視点が大事ですから、ある意味若者の投票率が低いのは学校教育の結果であるという考え方を持って組み立ててみることが必要なのかと思います。

2015年度卒の就職活動に臨む人たちへ

Posted on | 1月 1, 2015 | 2015年度卒の就職活動に臨む人たちへ はコメントを受け付けていません。

新年が明けました。毎年この年末年始ごろになると、大学3年生たちが「就職どうしよう」といった表情や言葉を発するようになります。北海道にいるとのんびり構えている風潮があるので、首都圏よりもそわそわ感が少ないだろうし、モラトリアム的にほんわかしているので、張り詰めた緊張感を持っている人はまだ少数な時期でもあります。今年は、就職協定上解禁日が先送りしてきたので、表向きにはまだ活動しなくて良いとなっていますが、昨今の報道を見ていると就職活動とは名前を隠した活動が随所にやっており、よりアンテナ張った学生とそうでない学生との差は広がったように、格差を助長しているさえも見えます。

大学生たちにどういったアドバイスをすべきかというと、単なる就職支援企業のコンサルタントや人事の方のアドバイスは、スパン的に短い時間軸で話すことが多いでしょうから(もちろんそういった話をしないひともいますが)、もっと長期的で大局的にものをみるような視点を養いつつ、目の前のことをどうするのか、考えるよりも動くことを伝えるようにします。動くとは、考えるための情報や材料を見つけてくることです。

まず先に大局的の視点ですが、就職活動といったものはこれまでどういった変遷をたどってきたかということを知ることと、仕事という概念が変わってきているということ、その文脈の中に自分はいるんだ、といったようなものの見方です。ちょっと昔の就職活動スタートは10/1でという時代があって、早期化され、インターネットでやりとりするのが主流になり、最近は早まったり遅くなったり右往左往し、どういった変化や問題点が生まれてきたのか。そのようななかで、UNIQLOのような全く違った路線の就職の窓口を作ったりもしています。その良し悪しを多少なりとも興味を持って知ることが一つあります。就職活動やるにあたって、就活ってなんだを知るのはまず一歩。

そしてこっちの方がより重要ですが、仕事というものの概念が変化しはじめていること。具体的な例として、終身雇用制が変わったことやグローバル化の影響もあり労働者の流動性が高まったということ、正規雇用や非正規雇用といった雇用における階層化も顕著になったということです。1年近く時間をかけて就職したところで、就職先の企業が無くなるリスクもあるし、仕事そのものがなくなるかもしれない。転職する人も多いでしょう。たった数年いるかいないかわからない。そもそもほとんどの卒業生は今や最初に就職した企業に定年までいようと思っていない。でも大学時代の貴重な時間のなかで相当な時間を割いて就職活動させられている仕組みになっている。理にかなっていないのではないか、と考えるのが普通でしょう。なので、肩に力を入れないことがまず大切なことです。肩に力を入れすぎると物事の考え方がより局所的で対処的なテクニカルな意思決定に陥りがちです。それが大きな間違いを誘発しかねません。また、親と相談してというのも時によってはマイナスになるときがあります。親の時代の仕事観と今はかなり変わってきているからです。

就職する、つまり学業の世界から社会への入り口として人生の一大イベントの狭間において、短絡的思考や少し昔の価値観で選択してしまうことは、今後の人生を歩む上ではリスキーなことだと思います。ですから、まずは大局観をしっかり持つことです。そして上記のことに加えて、自分は何者なのか、自分は何をしたいのか(動機)、自分は何ができるのか(能力)、どういった価値観を持っているのか、(シャインの3つの問い)など、自分自身を考える上での幾つかの指標や考え方がありますから、そこをじっくり考えることです。この時考えるための情報や体験が少ないと思うのであれば、やりやすいものから実践し体験を積み上げることです。ただし徐々にレベルの高く難しいものへシフトして積み上げるということがないと、よくからないままです。何事もそうですが、好きなことやもの、食べ物も含めて、最初にトライしないと自分は何が好きか得意かなんてわかりません。就職活動も社会で働くこともやったことがないので、何に向いているとか、好きとか、嫌いとか、そんなものは究極的にはわからないはずですから、小さな体験や経験がこれまで学生なりに積み上がっているのか、その量と質と、その検証でしかわからないはずです。

経験や体験が少ないと思ったら、これからでも十分間に合うはずです。就職活動そのものを体験活動だと位置付けてもいいと思いますし、20代が終わる頃までにわかっているようになれば良いので、焦る必要はないと思います。ただし今から切り出すのであれば、すでに切り出した人よりもスタートが遅い分、体験のやりやすさしやすさの大学時代の半分以上はすでに失っているのは確かなので、そのあたりは少しだけですが焦りがあったほうが良いでしょう。程よいプレッシャーは自分を成長させる活力になります。何事もバランス。プレッシャーはありすぎると潰れて鬱になりますが、そこそこ適度なものはあったほうが良いのです。このプレッシャーとの向き合い方を学ぶのは大人になるための必須条件です。

上記のようなことを考えるためにも年末年始の時間をゆったり使って欲しいと思います。将来を考える上での書物、これまでの体験や経験を内省するためのヒントがある書物などを見つけて読んだり(またはググってネット記事とかもOK)、知人や友人(旧友も)たちと会話をしながら考え方を見つけたり整理したり、そういった有意義な時間に活用してください。正月だからそんな難しいこと考えないで、楽しくリラックスしたら良いと思っていると、あっという間に時が流れていきますよ。

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