江口 彰 Laboratory

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高校の講演会でお話をする前後のデザイン

Posted on | 6月 5, 2013 | 高校の講演会でお話をする前後のデザイン はコメントを受け付けていません。

昨日、ある高校でゲスト講師を依頼されて講演をしました。いつもはカタリ場を通した関わり方がほとんどの高校生と、面と向かって話しをするという機会はこれまでありませんでしたから、違った関わりを持つことの意味はあるだろうと、そんな感覚をもって臨みました。

終ってからまず思ったことは、難しいということと、カタリ場は改めて凄いシステムだと強く感じたことです。難しいという感覚は、カタリ場で行き着ける高校生の変化には到底及ばないという、それを知っているからこそその差感じる難しさであって、もしかすると普段から高校に講演に行っている方からすると普通の状況なのかもしれません。自分の立ち位置からは30〜40名ぐらい聞いていた感じがありました。それはまだいいほう、ともいわれましたが、カタリ場をやってきている立場からすると、それはかなり少ないと感じるのです。

振返ってみると、講演の内容よりもむしろ話しをする場づくりを整えるということだけでも、たくさん感じることがありました。なにより高校側が外部の講師を招いてお話をして頂くといったスタイルを工夫してみることが大切なのかと感じます。

カタリ場の事前の打ち合わせのときに、入場からすべて大学生にお任せ状態にしてほしいといったこちらの要望に、拒絶反応をする先生が時々おります。ゲストがわざわざ遠方からお越しいただくので、生徒は事前に整列をして待ち構え、ゲストを招き入れ先生がゲストを紹介し、そしてお話しをして頂く。お話しを聞いているときは、ゲストの話しに耳を傾けるように説得をする。そういったスタンスが当たり前であり常識なのかと思いますが、逆効果がたくさん生まれているなと感じました。北海道のカタリ場では、このような状況にならないように事前にしっかり打ち合わせをしますが、北海道以外のエリアでは稀に起こっているそうです。この先生たちの外部ゲスト対応の固定化が講演のハードルを高めていると感じたのです。

このカタリ場のスタイルが自分には定着していることもあるでしょう。この形式で紹介された自分はペースを乱してはじめてしまいました。しかもセッティングしていたMacがフリーズしてしまうトラブル、マイクの状況もあまりよくなく声が若干ハウリングしていたこともあり、話しを聞くにはイマイチ環境が整っていない感じでした。初動でうまくいかないとなれば、あとは立て直しを終始気にしながら進めますから、内容が何であれそのパフォーマンスを発揮しないで終ってしまいます。自分自身が高校生に対してはじめてだったこともあり、結果的には消化不良のような感じで終りました。

普通の社会常識としては、ゲストに対する先生の対応は間違っていません。しかしながら、生徒に対して話しをしてもらうという目的と意図、その学校の生徒の気質によっては、工夫をしなければならないでしょう。もちろんゲスト講師によって方法は変わると思いますが、ゲストが話をする前と終ったあとの時間のデザインを今一度検討してみること、この意味は思った以上に大きいと思いました。折角の話しを台無しにするということもあり得ます。

do my essay

今回の最大の反省と収穫は、この視点をしっかり持つべきだったということです。学校側からすると外部の方を招くという頻度は少ないでしょうし、こういった見方や考え方をするゲストも少ないでしょうから、自分のような立場からしっかり助言すべきことだったと思いました。よりそこが明確になったことが大きな収穫と考えています。

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