江口 彰 Laboratory

分野は、“教育” “映画” “まちづくり”。次世代への取組みを分かりやすく考えてみる。

夏休みに向けて、大学生に助言すべきこと

Posted on | 6月 19, 2014 | 夏休みに向けて、大学生に助言すべきこと はコメントを受け付けていません。

久々にBLOGなるものを書いています。昨日、自分が教鞭をとっている大学の就職活動の風景を目の当たりにして「やっているな」と思いながらも、アベノミクスと言われていますが、昨今の経済状況も業界や地域によって細かくみるとばらつきがあり、求められる人材の多様化もあり、就職協定の変更等にも振り回され、さぞやたいへんそうな印象を大学担当職員にも大学生たちにも感じます。

しかし本来は、そうした状況や環境の変化は今後常日頃起き続けるでしょうから、それらに対応できる柔軟性が必要な社会になってきているからこそ、社会人に求められるスキルや感性もその変化に対応できるために、しなやかさとしっかりした芯をもっているのは必要なことなのかと思います。でもしかし、そういったことをどう育んで学べばよいのかという話になると、就職活動の前線では、エントリーシートをかく、どこかに企業訪問にいく、インターンシップに申し込む、面接対策だ、企業研修だ、といったように皆目見当違いの場当たり的なことしかできない状況になってしまいます。

こうしたことから、各大学で1年生から場当たり的な対策に捕われないように最近コトバが一般化しつつある“キャリア教育”なるものを設定している大学が多くなっているのです。でもしかし、大学職員や教授等教員のなかで、先に述べたような変化の激しい社会でしなやかかつ芯をもった能力形成に寄与できる学習環境を整えることとか、カリキュラム開発が出来てそれを授業という場で実践できるかというと、ほとんどは専門外で、そしてたまたまその担当になった人ですので、教えるべきスキルを実践的に出来ていない人や苦手な人がかなりを占めていると思います。また逆に、そんなことは大学がするべきではないと抵抗勢力になる人もいますし、無関心でいる人も多くいます。このようなこと(社会対応)ができる人材は今枯渇しているというよりも、そもそもそういった学習環境がないなかで育ってきた日本人ですから、ごく稀に出来そうな人がいるという程度で、まだこうした人材育成を担う学習指導者たちは、社会のニーズに対してそれほど数多くいるわけではないのは、よく考えるとあたり前だと思います。そういえば似たような話で、小中高の“総合学習の時間”で、ゆとり教育の象徴的なカリキュラムが導入されたときに、その指導方法についてはかなり現場がもたつきました。元文部省でゆとり教育導入時のスポークスマン的役割を果たした寺脇研氏によると、小中学校で総合学習という授業を受けたことない先生方が教えていた時代だったからうまくいかないだけであって、子どもの頃総合学習を受けてきた子が教師になる世代になると、ようやくうまくいく可能性が広がっていく。そのゆとり世代が教師になりそうなときになって、脱ゆとりとかになると、せっかく築きあげてきたものが…とおっしゃっていました。大学生から社会人に至るまでの学習環境の構築や開発も、ほとんど同じような構図であるとは考えられます。

ここ最近の大学の最前線では、これは中高校も一部そうなりつつあると思いますが、知識を伝えて覚えるという従来型の学習スタイルの重要性は色あせてもいないですし必要性は変わらないのですが、それに加味されて知識ではなくスキルや技術や柔軟性や行動力といった類いのものを伝える学習スタイルの導入や開発が急がされています。その講師役になる人にはその分野の知識と、スキルですので常日頃から講師自ら研いていている状況がないと、これはなかなか子供たちには伝わりませんし、学習課程をチェックしたり、修正したりも出来ないのではないかと思います。でも今の現状は、全くそれらのことを知らず行動も伴わない人が、キャリア教育の担当になることがよく見受けられます。これは先にも延べたように、もともとそういった人が少ないので、選択肢がほとんどないですから仕方ない状況ではあります。徐々に時代とともに解決はされていくと思いますが、問題は、結果としてそういった人が作り出した学習環境のなかで、あまりうまくいかないケースを生み出しているといった学生たちの現状かと思います。

前置き長くなりましたけど、昨日授業中にヒアリングしていた大学生のケースは少し考えさせられました。大学3年生のこの時期は、卒業後の進路に向けて具体的な行動に着手するために、あれやこれやと大学側が就職系のイベントや授業を用意していて、やらせる、参加させる、という方針がとられます。もちろん、これは一定の意味がありますが、プラスになっている反面、マイナスになっていることも事実として押さえておかないとなりません。どういうことかといいますと、夏休みの予定が立てられない、という話しを聞きました。近年各大学では3年生の夏休みに、企業インターンを誘致して、参加させるという仕組みが定着化しつつあります。企業インターンのエントリーを行ない、面接を行うらしく、結果いつどこにいくのか、どれくらいの期間拘束されるのか、そういった選考課程にあるから夏休みどうなるか分からないというのです。そしてその企業群の一覧を見せてもらいました。北海道内外の有名企業から中小企業まで、日程が決まっているものから決まっていないもの、内容も定まっていたりそうでなかったりです。しかも人気があるところは抽選という記述があり、しばらく待たされるのです。

こういった状況は、自分のスケジュールを自律的に作れないわけで、ある意味振り回されている側ですから、社会の変化に対応している力を育んでいるかという観点からいくと微妙な感じがします。さらに話が続くのですが、この1週間何をしていたかを聞きました。そうしますと、先週の土曜日に友人のバースデーパーティーにいって楽しかったといっていました。よくよく聞くと友人は外国人で自らの誕生日を大勢誘ってわいわいやっていたということや、参加している人が多種多様で30歳前後が多かったといっていました。どういう会話をしたのかというと、ふざけていただけでそれほど意味のある話はしなかったようです。どんな人に出会ったの?と聞くと、ある出版社の務めている人と出会ったといっていました。でもしかし、仕事生活の話はなにもしなかったようです。

僕からはこのように伝えました。その時その出版社の人と仕事や生活面での話ができたら、その業界や企業については夏休みにエントリーしようとする職種とは違うかもしれないけど、一つの会社を知ったり聞いたりできるだろうし、その業界から他の職種に紹介してもらえるまで展開できれば、大学で用意してくれた企業インターンになんて行かなくても済むのではないか。しかも大学で用意した場の空気よりはラフな場だと思うので、本音トークも聞き出しやすいと思う。それをいつもやっていれば、スケジュールの主導権は自分にあるわけだし…といった類いの話をしていました。そういったやり取りを聞いていた他の学生にもきっと考え方や動き方のコツを、一人のケースを通じて学ぶことが出来たと思います。

大学3年時の夏休みは、従来よりも重要な体験をしないとならないタイミングになってきています。中長期の旅行すること、資格勉強すること、サークル活動に没頭すること、就職活動の初動をはじめる、バイトでお金を貯める、留学にいくとかです。あれもこれも同時にたくさん出来ないでしょうから、選択をしないとならないわけです。一方で各大学や企業は社会情勢に合わせるように、大学3年時に企業インターンの仕組み化を内在化させることで、作ったからには出席率や参加率は気になるところでしょう。それがいいのか悪いのか、その善し悪しの片鱗を見たような気がします。たまたま話をした受講生は、多方面に人脈作りやお友達を作れる状態までいっていますから、逆に大学で作られたレールは縛られている感があります。しかし今のままでは未来につながる感じでもないですから、ちょっとした行動修正を行なう必要性がありました。それをしっかり見つけてあげて、指摘し行動変化のきっかけを生みだすことのほうが、夏休みにインターンいくよりも、今最もその子に必要なキャリア教育の本来の目的に繋がっているのだと思います。もちろん、他の学生には大学で進めている制度を活用した方がよい人もいます。

このように、一人の大学生の普段の行動や考え方をケース化して、それを振り返りながら考えていくことで、授業を構築していくほうが、かなり効果的ではないかと思っています。

企業の人事からみて、大学の就職担当セクションが就職支援企業と結託して、企業インターンシップを制度化して、それを学内で懸命に広報し、それにまじめ応えていくつかの企業訪問する学生と、もっと違う体験を自ら構築して歩んでいる人と、どちらを採用したいと思うのか。もちろんそれは企業によりその職場環境によりますが、社会変化が常日頃から起き続ける社会人の在り方からすると、どちらがより対応できそうなのかは想像できるに容易いのかと思います。

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